似てるよな‥。
大学生から小学生まで 「ネットでコピペ病」蔓延
7月20日12時25分配信 J-CASTニュース
その2。
中国“パンダ”をイタリアが上陸阻止!
伊トリノの裁判所は18日、中国の自動車メーカー・長城汽車(グレートウォール)製小型車『ペリー』(Peri)に対し、フィアット製『パンダ』の意匠権を侵害しているとして輸入禁止の命令を下した。
イタリア人は何たってローマ帝国、ルネッサンス文化、カソリックのお国柄。
自分達らしさ、に関して強い誇りを抱いているから、この手の問題解決には当然、マフィア連中が乗り出してくるだろうなぁ。
簡単に人真似をして、その場凌ぎをするのは、創造性を否定した行為だもんな。
長い目でみて、文化が生まれなくなってしまうんじゃないの?
物真似が文化、じゃ無いことは他人のコピーした音楽やマンガがつまらないことから実感できる。
「すぐ飽きてしまう物」ってのは確固とした個性を持っていない物だ。
個性ってのは簡単には成立できないもんだよな。
自分を見出せないと、自分の個性を伸ばすことは出来ないのだから。
何しろ、人間よりも下等な虫達を見てみると、全部同じに見えるじゃん。
それと同じように、人間よりも高度な知的生命が存在していたとしたら、人間は全部同じに見えるだろう。
その同じように見える中で、どのように違いが生まれるか、って言えば「その人が何を生み出したか?」ただそれだけの違いだろう。
何もしてなけりゃ何も生み出せない。
生み出した物が他と同じだったら、違いは存在しない。
「人間なんて皆同じでいい」と言う考えは「新しい物を生み出せない」ということだ。
協調性と愛情を混同している人って、多いよな。
特に儒教のお国柄って、その部分で勘違いが生まれ易いんじゃないの?
愛とは個性を擁護するものである。
人それぞれ姿考えは違う。
その全員の存在を肯定する行為をもたらす感情を、愛と名付けたのですな。
皆に個性が無くなって、一々否定も肯定もする必要性が無くなったら、愛の存在を感じる場面は無くなる。
そうやって愛を忘れてしまう‥。
こうして考えると、ネットで情報を共有し合うようになる段階が進んでいくと、心が一体化した集団が生まれ、それが一個人と同じような機能を発揮するようになるかも知れないね。
大方の日本人の姿を見ると、他人と余りに違いすぎるのを嫌う気持ちで生きている人が大部分だもんな。
ほとんど同じような主義主張を持った集団の中で、ほんのちょっとの違いに優越感を持ったり、劣等感を持ったり。
狭い世界の中で生きるのを好む傾向が強い。
中国は余りにも多くの人が居過ぎて、あっちこっちにSNSのような人間集団が、昔から普通に存在していたのかも知れないね。
そういう連中の行為の方針は「皆でやれば怖く無い」じゃないのかな?
ってなもんで、あんな厚顔無恥な幼稚なパクリを、いけしゃあしゃあと出来るのかも知れない。
個性、についての考え方が欧米とアジアで違うんだろね。
これから何十年の間は欧米的な個人主義が世界の主流になると思うなぁ。
今は中国が黄色人種の代表として、欧米的な価値観とぶつかり合っているのかも知れないね。
「真似することの何処が悪いんだ?」ってな感じ。
似た物同士集まってサル山を形成して、些細な違いを較べあう世界で完結している姿よりも、
もっと大きな世界に自分という個人をぶつけてみて、そこから知れる何かの方が自分で満足できるものだと思う。
物真似で満足できるのは、集団(村社会、サル山)の構成員である自覚を持ったことが無いからだろう。
物真似で満足できるくせに「自分は他と違う。」と確信を持てるのは、考えたことが無いからだ。
何だかゴチャゴチャ書いてみたが、簡潔に言って、とにかく個性を知ろうとしなけりゃ愛も分からんと思う。
他人の物真似をしてるのは、自分の個性を愛していないからだろうさ。
他人のコピペをして満足できるのは、自分の個性を伸ばそうとも愛そうともしていないからだろうさ。
劣等感が増長していくだけの人生だろう、と思う。