日本人って流され易いからだろね
8月6日7時2分配信 スポーツニッポン
人気ドラマシリーズ「北の国から」などで知られる脚本家の倉本聰氏(73)が「テレビへの絶望がある」としてドラマ脚本の執筆をやめる可能性を明かした。脚本を担当するフジテレビの10月スタートの連続ドラマ「風のガーデン」(木曜後10・00)で、舞台となる北海道・富良野で会見。「これが最後という気持ち。テレビ局が視聴率だけを考え、現場が悪くなった」と憂えた。
倉本氏は「風のガーデン」の主人公の家族が育てているという設定の庭の前で、主演の中井貴一(46)、緒形拳(71)らとともに会見。黄色や白い花が咲く中「これが最後だなという気がした。連続ドラマはしんどいし、作っているスタッフもどんどん世代が違ってきているし…」と打ち明けた。
日本テレビ「前略おふくろ様」(1975〜77年)フジテレビ「北の国から」(81〜2002年)など多数のヒット作を生み出してきた脚本家の「最後かな」発言。富良野のホテルに場所を移し再び取材陣に囲まれた倉本氏は「これが最後の連ドラになる?」との質問に「ありますね」とキッパリ。
人間の生と死をテーマにした同ドラマの執筆中に感情移入しすぎて体調を崩し精密検査を受けたことも明かした。倉本氏は「体力的なこともあるが、テレビへの絶望というのもはっきり言ってある」と話した。
「今回のスタッフは一生懸命取り組んでくれている」と強調した上で「かつては知恵を使って作っていたが、今は知識でものを作るようになった」と指摘。「(一緒にやってきたスタッフが)役付きになり、現場から離れ、技術や知恵が伝承されず、役者を含めて現場がものすごく悪くなった」と苦言を呈した。
さらに「質は考えず、視聴率だけで評価するようになってしまった。脚本家、演出家、役者を悪くしていったのはテレビ局に責任があると思う」と怒りをあらわにした。
そして、これは現在の教育問題において、相当の程度にまで収束していそうだし。
失敗の成長過程で出来上がった教師と親が、次の世代を育てあぐねている様子。
まぁ、これらと似た諸々の出来事に関して言葉を選ばずに表現すれば、
「クローン同士の交配は崩壊する。」ってことさね。
信念と感情を秤にかけた時に、感情を優先する傾向が強い様子を見て「その人の弱さ」を知る。
「自我の薄い人」とも表現されうるはず。
そして、そういう人は「協調性がある、思いやりのある」とも呼ばれる。
さらに、似た物同士の仲間内では「優しい」と呼ばれる場合が多い。
自分らしさ、を知らないままに成長した人が「他人を如何に思いやれるか?」と考えた場合、どうしたらいいかというと「同じことをすれば良い」。
「仲間内でだけでなら、優しい様子を醸し出せる演技が出来る計算高さ」を持つ方向性で自分の能力を育てる。
そして、ネズミが集団で自殺するように全員で水の中に飛び込んでいく‥。
本当に優しい人、とは他の皆が困っている時に助けることの出来る気持ちと、能力を兼ね備えた人物のことを言う。
だから「強くなくては優しくはなれない」のだと思う。
「自分を押し殺すことにだけ長ける」その前に「実際の問題を解決できる能力を所持しているのが先決」だね。
自分の中で何かに対して積極的に挑み続けて来て形成してきた意識を「信念」と呼ぶと思う。
自分の内部で自分と戦って得てきた、一定の方向を持った意識が「信念」。
それとは違い、「自分はこうしようと思っても出来なかった。」と受身で消化不良のままに、もしくは、戦う必要も無い、生まれ持ったままの安心感を満足させ続けてきた中で身についているのを「感情」と呼ぶと思う。
さて、今自分の為している事が果たして「感情に流されている」のか、「信念に沿っている」のかは、その人のみぞ知るところであろう。
で、私としては「他人の真似をして満足できる連中には信念が無い。」と判断する。
そして、そういう信念の無い人が感情に流されて生きてきた結果が、今の教育問題や、テレビ文化、著作物の陳腐化に現れていると思う。
子供を導くのも、小説を書くのも、マンガを描くのも、音楽を作るのも、ドラマを作るのも同じだと思う。
一番胸糞悪いのは、最近の子供の名付け方の風潮。
英語も喋れない純日本人のくせに「英語っぽい名前をつけている。」
そこまで外国の真似をする、何でも取り入れるのがそもそもの日本人らしさ、と言っても良いものか‥?
彼らは本当にその名前を気に入っているのか??
大体において売れ線の歌手連中の名前は純日本的なのが増えているじゃねぇか。
何も考えなけりゃ日本的な発音の呼び名の方のなびくくせに、他人の様子を伺うと英語っぽい呼び名を選択している‥。
つまりは「自分では精一杯考えて価値判断をしたつもりでも、元々大した脳みそも持ってはいないもんだから、結局は感情に流されてしまった結果を、またまた今回も選択してしまった。」のさ。
そして、その大した脳みそも持ってはいない様子を表現するのが「信念の無い弱い人」という言葉だろう。
そしてまたまた、そういう「人としての弱さ」を擁護するのも「現在の風潮」「時代」なんだろう。
そして、その根源的な一番の問題は、結局は、そういう人たちは「お金に感情を流され過ぎている。」ということである。
金や物の有無で、とたんに強気になったり、弱気になったり、が激しすぎる。
それが「頭の悪さ」「一方向的な物の見方」「見識の狭さ」「知識の乏しさ、すなわち狭い範囲に特化した理解力」のせいだと思う。
中途半端に頭が良いつもりの奴ほど、周囲に気を配って、いろいろ計算高く生きる姿を曝け出しているものさ。
本当に天才なのもバカなのも計算高くないから、その人らしくって気持ちいいものさ。
そして、本当に頭のいい人ならば、計算も出来、信念もあるから、最強の存在性を示す必要があるときに限ってきちんと示せるってね。
決してフラフラしてる姿を見せるなどしない。
教育委員会程度の頭脳だと、フラフラするってことさね。
本当の人生の計算は出来ないけど、目の前にある小さな問題の計算は出来る脳みそ。
小さな成功を積み重ねる人生、それだけが真実ってな思い込みが強い姿だと思うなぁ。
本当に生きるならば、小さい成功も大きい成功も両方を見据えていかねばいけない。
次の世代を残す、のが生物としての成功ならば、それはすなわち「自分の情報を残すこと」だから。
子供の中には遺伝情報以外の情報も含まれるのだね。
だって単に自分の遺伝情報を冷凍保存するだけではないのは、そして男女の別があるのは、進化したいからだぜ。
愛、とは進化の必要条件なわけ、か‥。
信念の無い人に個性は無く、子供を育てる行為は無意味であり、ゆえに男女の別も無意味と化す。
どひゃ〜、昨今の男女の性格差の混乱と、教育問題と、愛情の希薄さ、は重なっている‥!
信念、個性、自他の違い、を大事にすることは遺伝情報の永続性に関わるのだな‥。
ま、結局は、最後に生き残った奴の勝ち、なんだろけどね。
しかし、人間の一生にある時間の範疇に限定すれば、「個性を確立出来てない奴の存在意義は薄く、それは失敗である。」と思うよ。
他人の真似で個性の確立は出来ないことに、やっと気がつき始めて、いろいろと問題が生じて来ているのだろうねぇ。
もちろん、気がつくためには幾つかの部分で淘汰が起きて、その悲しみのエネルギーのおかげで次のステップに移行出来るわけだな。
今がその時ってわけですな。
子供の教育と然り。
信念を移し変える作業、なのだね。
似非思いやりで生きてきた、自我の薄い、信念を持っていない大人達が錯乱し困っている姿、を批判しているのだろうねぇ。
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